《メルボルン移住計画 最終話》メルボルンに到着…移住初日は人生最大のピンチに!?

こんにちは!家族で移住ライフ「かいぞく」のDADAです。メルボルンへ移住したきっかけとなる最終話ですね。

長旅を終え、無事にホテルにチェックインし、ゆっくりしようとおもむろにテレビをつけてみると、そこには衝撃の映像が飛び込んできました…

 

「そうです…2001年9月11日 アメリカ同時多発テロです…」

 

幸か不幸か…移住初日の夜にこんな衝撃的な出来事に出会ってしまったんです…

 

 

 

テレビの前で呆然とするだけだった…

確か観ていたのはCNNのニュースだったと思う。そのテレビの中では、飛行機が世界貿易センタービルに突っ込んでいくシーンを何度も何度も繰り返していた…

そのニュースはもちろん英語だったため、何を言っているのかさっぱりわからなかった。ただ、とんでもないことが起きていることだけはハッキリわかった。

まるで映画のワンシーンのように、ビルが崩れ落ちていく様は、薄暗いホテルの部屋にいるDADAに、壮絶な孤独感を与えていたのを覚えている。

 

「もう日本に帰れないんじゃないか…家族や彼女に二度と会えないんじゃないか…」

 

そんなことを考えてしまうほどのインパクトのデカさだった…そして、どれぐらいニュースを観ていただろう…ふと我に帰り、彼女(今の奥さん)にホテルから電話した。彼女もニュースを見ていたらしく、とても不安がっていた。とりあえず、一度日本に帰国したらどうか?とも言っていた。

でも、そのチョイスは全くなかった…

 

DADA
だって、せっかく始まった移住生活だから…自分は自分のできることを一生懸命やろう…

 

って。

今、移住というチャレンジに立ち向かえていることを自負しながら…

今、みんなの助けがあってここにいられることを感謝しながら…

今、ここにある命を大切にしながら…

 

 

人生初のバックパッカー向けのホテルで驚きの連続!?

移住2日目、ホテルをチェツクアウトして向かった先はバックパッカー向けの激安ユースホテル。

ユースホテルとは
青少年少女の旅に安全かつ安価な宿泊場所を提供しようという主旨で始まった運動と、それにより生まれた宿泊施設。

wikipediaより引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/ユースホステル

 

名前はすっかり忘れちゃったけど、場所は今でもしっかり覚えていて、初日に宿泊したホテルから2ブロックぐらい歩いたとこにあった。

スーツケースをガラガラ引きながら、もちろん、アポなしで宿のおっちゃんに聞いてみると、ドミトリー(みんなで一緒に寝る部屋)なら空いてるとのことだったので、シェアメイトが決まるまではそこにいることにした。

 

引用:https://www.hihostels.com/ja/hostels/melbourne-central-yha

 

お世辞にもキレイとは言えないユースホテルだったけど、あんな事件があったせいか何だか人がワイワイしていることにホッとした。

まぁまぁ広い部屋に通されると、2段ベットの上に案内され「2段ベットの上だけ!?」と戸惑いながらも、必要なものはベッドの上に置き、必要のないものはスーツケースに入れ鍵をかけた。シャワーも共有…日本でしか生活したことがないDADAには全てが驚きの連続だった…

しかも、その夜、知らない外国人から、

 

「飲みに行こうぜ!」

 

と誘われ、お金を盗まれるんじゃないか!?と海外初心者丸出しでビビりながらも一緒に飲みに行くことになった。みんなで近くのパブ(ワイワイできるバーみたいな感じ)でビールを飲みながら、ホントに単語と単語をつなぎ合わせながら拙い英語で自己紹介したり、昨日のテロのことを話したり、名前は忘れちゃったけど友達もできた。

そんな暮らしを3~4日していると、日本人向けのオーストラリア情報誌でシェアメイトの募集を発見し、電話してみると早速迎えに来てくれることになり、ドキドキ満載のユースホテル生活に終わりを迎えることになる…

 

 

人生初のシェアメイトは関西弁が喋れるオーストラリア人!?

迎えに来てくれたのは、関西弁が喋れるオーストラリア人「ショーン」だった。ショーンはレイチェルという彼女と暮らしていて、DADAに一部屋貸してくれるとのことだった。場所はサウスメルボルンと言って、シティからトラムで15分ぐらいのところ。

右も左も分からないDADAには、ショーンが日本語を喋れることは非常に助かった。しかも、喋れると言っても片言ではなくペラペラで、DADAより上手な関西弁だった笑

今ではほとんどつながりはないが、この二人にはホントに感謝している。簡単そうで意外と戸惑うトラムの乗り方や、英語が話せないと間違いなく難しい銀行口座の開設の仕方や車の購入を一緒に行ってくれたり、メルボルンでの生活の基盤を彼らにたくさん手伝ってもらった。

しかも、ショーンは偶然にも料理人でメルボルンの料理のことや仕事のこと、いろいろ話してくれた。彼らに出会えたことはホントにラッキーだったと思う。

 

 

最後に…

こんな感じで始まっていったメルボルンでの移住生活…移住を始めてから1年半後、無事に永住権を取得しました。

担当の彼に言われていた通り、やっぱり、1年では永住権は取得できなかったので、結局、ワーホリの期限が切れたあと、学生ビザに切り替えて滞在しました。もちろん、学生ビザの申請費用や学費に結構お金がかかりました…ただ、

 

DADA
今でもあのタイミングで移住を決断したことは間違ってない!

 

と思ってます。きっと日本で永住権の取得を待って移住を始めた方が楽だったと思うし、お金もセーブできたと思うし、いろんな人を不安にさせることも少なかったと思う。でも、この経験を通してわかったことがあります。

 

DADA
大きな壁が目の前に立ちはだかったとしても、乗り越えられない壁はそうそう現れないし、もし、その大きい壁が登れそうになかったら、横から回り道すればいいんじゃん!

 

って思えるようになりました。日本で生活していたときは、仕事が一番で、仕事が中心に生活が回っていて、そこを蔑ろにすることは許されないと思っていました。仕事で大きな壁が現れたら真っ向から突撃して、それなりのストレスも感じていました。でも、それじゃ自分自身の身体がもたないし、家族もかわいそうですよね…人生一回ポッキリですから…

仕事って、自分の人生の目的を達成するための「手段」であって「目的」になるものではないと思います。もちろん、仕事が生きがいであってもいいんです、だって人は違いますからね。

ただ、DADAは、メルボルンの移住生活を通して、自分自身の優先順位をハッキリ知ることができました。その優先順位は、家族のつながりを強くし、住むところの国境をなくし、なるべく自由でいたい!まさに今の生活スタイルに結びついています。

 

「人生一回ポッキリ、あなたの優先順位ってなんですか?」

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です